信州大学マンドリンクラブ同窓会

 

 文理音研(音楽研究会)に入部

 当時専有の部屋を有し活躍していたクラブに文理音楽研究会がありました。
 元々は昭和25年に旧制松本高校から2本ペダルのドイツ製ピアノ(ザイラー)が贈られて、これを発端に昭和34年に医学部を含めた「ザイラークラブ」という音楽サークルが誕生して、やがて音研に至ったところです。
 合唱だけでなく、ピアノや管弦楽器もあるので、マンドリンの練習もいいかと相談したら、OKだが合唱団に入ることが前提だと。山ちゃんや庄村さんに相談したら仕方ないではないか、練習場さえ確保できればいいと言うので入れてもらいました。

 ところがここでマンドリンを練習していたら、合唱部にいた先輩の女性(徳永さんや吉原さんー同じ英文科の先輩)が参加してきて、そのうち同級の女性が5人も加わり、更に教養部にいた工学部の蔵田、今井君を初め5,6人が入ってきました。彼らは歌を歌わないため、音研の部長から合唱を選ぶか楽器を選ぶかの選択を迫られる事態に。

 6月頃には15名位になっていたので、有志で相談して、みんなで退部しようということになります。音研のクラブの半分位が辞めたため、後々まで私が引率者として批判されたという話をずっと後で妻から聞きました。(妻は1年後輩で43年に音研に入ったので、私とは学生時代に接触もなく、話もしたことがない。ではなぜ結婚したかは今回の話と関係ないので省略します。)

 松崎一先生にお願い

 だが、イザ退部しても練習場所がなく、どうしようと思案にくれていた折、たまさか屋代高校の信大OB会が開催され、物理学教授の松崎一先生に飲み会でお会いします。その際窮状を訴えると、それではと教授会にかけてくれたが、当時エレキギターが全盛で世の中では暴走族のように嫌われていたので、教授会ではその一派ではないかとの反対もあったとのこと。松崎先生は自らマンドリンを買い練習して、その音色を反対派の教授に示し賛同をえて、200名も入る23番教室を確保してくれました。

 雑談ですが、松崎先生は洒落のわかる明るいご性格で、松高で作家の北杜夫を教えたエピソードなどを面白おかしく話してくれました。
 ある時、試験日に遅刻してきた学生にどうしたのかと尋ねたら「寝坊しました」という。 嘘も方便ではないか、親が急病とか言え、寝坊したと言って追試験はできないぞと言いながらも、後で手を打って卒業させる先生でした。
 今年で御歳94歳。昨年入院先にお見舞いにお伺いしましたが、かなり記憶が薄れたとはいえ、まだご健在です。